幼姫と騎士の昔話

最終話 叙任


 初めて会った頃から感じていた違和感。それは、ティナベルには"クラシスが子供の頃からよく知る人たち"の面影があまりにも色濃く出ているということだった。最初は偶然だと思っていたが、ティナベルの年齢に加えサンディからマリアンの情報を聞いた時、疑念は確信となった。
 災厄が起こる少し前に生まれた、オートクラティックの双子姫――ティナベルは間違いなくその片割れだ。
 それが何を意味するのか、そこに何の陰謀があるのかは分からない。

 ――これは因果だ。皇族を護る騎士であった父に代わり、自分にそのお役目が回ってきたのだ。

 クラシスは今日からフェルナーゼに属する騎士となる。だがこれから彼が忠誠を誓い、仕えるのはフェルナーゼでもなければその王でもない。ティナベルただ一人だ。




 豪華な装飾が施された大聖堂の祭壇でクラシスが夜通し祈りを捧げた翌朝、騎士叙任式は盛大に催された。女神イリスを祀った大きなステンドグラスを背に、フェルナーゼ王が立派な椅子に座っている。それぞれ壁側には現騎士団と従士隊が規則正しく並んでおり、その中にはフェインとサンディの姿もあった。会衆席には見知らぬ貴族たちが座っている。司祭がコホンと一度咳払いをすると、教典を手に式の進行を始めた。

「これより新たな護衛騎士の叙任式を執り行う。従士クラシス・ティーヴ。前へ」
「はっ」

 待機列から正装をまとったクラシスが王の御前に出る。今、彼が着ているものは青い従士の制服ではなく騎士の制服だ。父と――そしてクローゼスと同じ、緑色の制服。まだ成長期であることを見越して大きめに見繕ってあり、ややだぼついている。今にも泣きそうな顔で参列していたクローゼスと目が合い、クラシスはそっと微笑んだ。これで少しは恩返しができるだろうか。

「あっ! クラシスー!! おとおさまもいるー!!」

 突然、凛と張り詰めていた空気を裂くように場違いな声が響き渡った。侍女の静止を振り切り、ブンブンと手を振りながらティナベルが駆けてくる。今日はいつものラフなワンピースではなく、きちんと身を着飾り正装が施されていた。幼いながらも"姫"と呼ばれるに値する姿だ。ティナベルはシャンシャンと髪飾りを鳴らしてクラシスとフェルナーゼ王の間に入ると、楽しそうに笑っていた。

「……ティナベル。教わった通りにしろ」
「はい、おとおさま!」

 物怖じしないティナベルに毒気を抜かれたフェルナーゼ王が小さく溜め息をつく。
 ――こうしていると、この男もちゃんと人の親に見える。クラシスは不思議な気持ちになった。全て杞憂であったなら、どれほどよいだろうか。もしかしたら、あの日救出されたティナベルを善意で育てて――

「……シス。クラシス! お式もうはじまってるよっ」

 ハッと空想から帰ったクラシスは顔を赤らめ、慌ててティナベルの前に片膝をつきこうべを垂れた。
 それからクラシスは腰に下げていた剣を鞘から抜くと、ティナベルに手渡した。四歳の子が持つには重く危険なため、司祭が後ろからしっかりと共に支えて代わりに引き受ける。
 段取りよく、侍従が代わりの短剣を載せた台座を運んできた。騎士の儀式には本来ならば騎士本人の剣を使用されるが、今回はティナベル自身が執り行うため彼女が持てるサイズの短剣が用意された。

「では、ティナベル様」
「はーい!」
「ティ、ティナベル様、も、もう少し静粛に……」

 場違いなほど元気な声に場のあちこちからクスクスと笑い声が聞こえ出す。司祭が狼狽えながら指摘したがティナベルにはあまり効果がなさそうだ。
 ティナベルは短剣ををふんふんと上機嫌に取る。そして片膝をついているクラシスの右肩に剣の平をそっと当てた。そのまま、すーっと息を吸うと、ティナベルはたどたどしく誓いの言葉を紡ぎ出した。

「『なんじ、クラシス・ティーヴよ。ここにきしのちかいをたてよ。けんきょであれ、せいじつであれ、あるじをまもるたてとなれ、あるじをまもるほことなれ、女神イリスのもと――』、え、えっと……あれ?」

 頑張って誓いを唱えていたティナベルだったが、不意にその言葉が途切れる。おそらく続きの言葉を忘れてしまったのだ。場がざわつき出す。

「えっと……んっと……なんじ……なんじ、クラシス・ティーヴは今日からずーっとわたしの! ティナの"きし"になります!! いーですか!?」

 ざわっと一際どよめきが上がる。「まるでままごとだ」と誰かがぼそりと呟いた。

「静粛に!」

 司祭が声を上げる。辺りがざわついてる中クラシスはこうべを垂れたまま、一人微笑んでいた。バカにしたければするがいい。

「――はい。誓います。私の剣は生涯、我が主ティナベル・ルフス・フェルナーゼ様ただ一人のために振るうことを」

 そう言うとクラシスは少しだけ顔を上げ、ティナベルを優しく見た。その表情にティナベルは安堵したように満面の笑みを浮かべ、しきたり通り短剣の平でクラシスの肩を三回ずつ軽く打つ。そしてティナベルが短剣を台座へ戻した後、クラシスはティナベルの手を取り、その甲に誓いのキスをした。くすぐったそうにクスクスと笑うティナベルに自然と頬がほころぶ。司祭がクラシスの剣をティナベルへ渡し、その剣が再びクラシスの元へ返却された。
 例年の儀式と手段はやや異なる形となったが、これで"クラシスの剣は主に捧げた"ことになるという。クラシスがその剣を鞘に戻し、出し入れして三回音を鳴らす。
 最後に、待機していた侍女がティナベルの代わりにクラシスの詰襟に護衛騎士の証であるバッジを取り付けた。

「新たな護衛騎士、サー・クラシスの誕生だ!」

 感極まったクローゼスがわっと歓声を上げ、拍手をし出した。釣られてティナベルが楽しそうに拍手する。するとまばらに拍手が鳴りだし、やがて聖堂全体が拍手で包まれた。サンディが拍手しているのを見て、渋々とフェインも小さく手を鳴らしていた。
 こうして騎士の叙任式は無事に終了した。



 叙任式が終わると、今度は真昼間から城のホールで上流の人間たちによる祝賀会が行われた。護衛騎士には相応の爵位権が与えられる。その時点で上流階級の仲間入りすることになるのだ。今夜の主役である若き騎士の周りには今の内から取り入りコネを作ろうと様々な者が群がっていた。
 この中で本当にクラシスの叙任を祝福している者は少ないだろう。未来の伴侶にいかがかなどと知らない娘を突然紹介されたり、クラシスは笑顔の裏で心を引きつらせていた。
 クローゼスは他の貴族たちの相手をしており、今自分は独りだ。ただでさえ寝不足でフラフラとしているのに打算にまみれた交流とあまりの人数にクラシスが酔いそうになっていると、とっとこと助け舟がやってきた。

「ねーねークラシスーっ! あっちいこ!」
「ティ、ティナベル姫だ……」

 ティナベルが来るといつも場の空気がガラリと変わる。クラシスは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。

「――はい、姫。皆さんすみません、お話はまた今度」

 ティナベルに手を引かれ、そそくさとその場を後にしたクラシスは安堵していた。ティナベルに感謝だ。
 上流階級の間ではこのようなパーティーが事あるごとに開催されていることは知っていた。ここまで大規模ではないとはいえクローゼスの小姓だった頃にも何度かお付きで参加したことだってある。だが今後もこういった会に出席するのが半ば義務なのだと思うと早くも気が滅入ってしまった。

「ティナ、もうパーティーあきたー。つまんない!」

 私も同感だ。クラシスはふふっと笑った。ああでもそうか、こんな幼い内から彼女は大人たちの会に参加させられていたのか。
 人集りのない静かな中庭に辿り着くと、何かの花の香りがふわりと漂ってきた。ティナベルは噴水の前に設置されたベンチまで駆け寄ってどすんと座る。続いてクラシスがその脇に立ったまま待機しようとすると、ティナベルが自身の真横に空いたスペースをバンバンと叩いて無言で指示してきた。

「し、失礼します」

 と命令通り腰を下ろすと、ティナベルはにんまりと笑った。喧騒から離れ、やっと落ち着けた気がする。

「あのね、パーティーのときはいつもこうやってぬけだしてね、ここでマリアンとふたりであそんでたの」

 クラシスはハッと表情を硬くさせた。

「ねー、クラシス。マリアンね、いきなりとおくのおうちにかえっちゃったんだって。さみしいね」

 悟られないよう、クラシスはすぐ平静を意識して顔を取り繕った。この純粋で幼い少女に本当のことを教える必要はない。今は、まだ。

「ひどいよ……ティナ、おわかれなにもゆってないんだよ。クラシスはおわかれした?」
「……ええ。最後までティナベル姫のことを心配しておられました」
「そっかあ……って、あー! クラシス! まだ"けいご"になってる!!」
「すみません。今の私はあなたの騎士です。以前のように話すことはもうできない……」
「や……!」

 抗議しようとしたティナベルだったが、途中で思い直したのか振り上げていた手を下ろした。

「……わがまま言ったらだめってマリアンがゆってた……」

 申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。本当なら彼女の願いを何でも叶えてやりたい。だが、主従の契りを交わした護衛騎士は主の友人には決してなれないのだ。

「――ですが、これからは私がずっとあなたの側にいます。いなくなったりしません。今日からはあなたと同じ、ここが私のお家ですから」
「ホント?」
「本当です」

 ふふふー、とティナベルは笑う。

「あのねあのね。ティナ、マリアンとシューレイのカネ見にいくやくそくしてたんだ。でもけっきょく見れなくて――マリアンはおうちにかえっちゃったからいついっしょにいけるか分からないし……だからね、こんど、クラシスといっしょに見にいきたいな!」

 その願いを叶えることが私にできるだろうか。

「……はい。いつか必ず」

 できるかも分からない約束をクラシスは交わす。そこにはクラシス自身の願望も入っていた。
 ――もしかしたら彼女がいつか自由に外を出歩けるようになる日が本当にくるかもしれない。その時はもちろん自分も護衛として彼女の側についていく。クラシスも外の世界はかつて巡礼でいくつかの街を一度周ったきりだが、秀麗の鐘だけじゃない。彼女が知らないものはまだまだたくさんある。世界は彼女が思っている以上にずっと広いのだ。


 カラーン……カラーン……と遠くから澄んだ鐘の音が聴こえ始めた。秀麗の鐘が時刻を奏でているのだ。クラシスは目を瞑り、その音に耳を澄ませる。

「クラシス、ほら! シューレイのカネがきこえるよ! ねー、クラシス? ……あっ」

 ふと隣から聴こえてくる規則正しい寝息に気付いたティナベルは自分の口を両手でパッと塞いだ。その寝顔を見てニコニコと微笑みながら、手持ち無沙汰になったティナベルはしばらく足をブラブラとさせていたが、やがてベンチの背にもたれかかったまま熟睡して起きる様子のないクラシスの膝にそっと頭を乗せると、寝息が二つになった。
 そんな様子を向かいの廊下柱から見ていた二人組が密かに溜め息をつく。

「ったくなんだあいつ、情けねぇな。せっかく様子を見に来てやったのに姫様ほっぽって寝てらぁ。あんなんでこの先大丈夫かよ?」
「同感だけど、仕方ないでしょ。叙任式の前日って徹夜で祈るのよ? あんたも騎士になる時やるんだからね」
「ゲッ、マジかよ」

 ――暖かな日差しの中でクラシスは夢を見た。

 今よりも大きく成長したティナベルが、どこか知らない小さな村にある一面の花畑の中できゃあきゃあと喜んでいるのだ。大きくひらひらとした青い花弁の花。あの花は確か――そうだ、アイリスの花だ。
 ティナベルの周りには知らない子供たちがいて、そこにはティナベルそっくりの橙色の髪に赤い瞳の少女もいた。ああ、きっとあの子は双子のもう一人、ティナベルの姉妹だ。
 同様に成長しすっかり大人の男性になったクラシスが、その様子を遠くから心穏やかに眺めている。すると、不意に子供たちに名前を呼ばれた。夢の中のクラシスは困ったように笑って、ティナベルたちの元へ駆け寄る。



『僕はもっと大きく、強くなって……君を護れる騎士になる。君は僕が護る』


 あの日誓った言葉を思い出す。
 私はマリアンさんとは違う。私は私のやり方で彼女を護って見せる。
 彼女の平穏な日常を。





 END